2009年 05月 17日
写真。 |
やっぱり写真はいいと思った、いまさっき。
ときは2006年。
大学に入って色んなことに挑戦していた。
毎日お弁当をちゃんと作ったり、
小さい頃からやりたかった格闘技を部活で始めたり、
ちゃりんこで広島から京都に帰ったり、
高校2年以来やっていなかった写真を撮り始めたり。
そのなかでも一番今のうちの人との繋がりを作ってくれたのは、
なんといっても写真に他ならない。
梅雨時期に入ろうかというころ
2つ上の先輩の写真を見て、
なんだか久しぶりにカメラを手に撮ってみようと思った。
そして某SNSで自分の撮った写真をアップしだして、(今はしてないけどね。)
そうするとそこで知り合う写真仲間が増えていって、
夏にはそのなかの9人の人たちが東京四ッ谷で写真展をすることになって
その写真展でもまた、
同年代の学生にも知り合った。
どんどん
どんどん
どんどん、
人と繋がっていく実感があった。
その人たちと、
翌年の3月に京都で[VectorSpace-Youth写真展]をした。
北は福島、南は広島。
様々な環境で様々な人模様、写真も様々。
その中で特に急速に仲良く、、
むしろ親密といっていいくらいになった子がいた。
palisちゃんと、うしゃ。
今でも覚えてて、
palisちゃんとは8月23日に写真展で。
一つ上の子だよ〜とたまったま紹介してもらった。
一緒に日光プリントをした。
彼女はパティシエの卵ちゃん。
ウサギみたいにかわいい顔をしてて、
モノゴトをはっきり言ってくる人だった。
でも、人一倍人を想う彼女で
それが会うたびに、話すたびに染み込んできた。
(んー、今でもかな。)
そしてたったその1回をきっかけに
9月21日には彼女の実家に泊まりにもいった。
カメラ片手に三宮を一緒に歩いて、
たくさんのおしゃれカフェをめぐったり、
写真を撮り合って照れ合った。
そして写真展のとき
わたしとは別に彼女が仲良くなったという
うしゃ
を彼女が繋げてくれた。
初めての会話が電話だった。
その時の第一印象は、
実際ほとんど覚えてない。
というのは、声フェチのうちにとって
電話ごしの彼の声はあまりにも刺激が強すぎたんだと思う。
だからいまだに電話苦手。笑(←カミングアウトww
彼女と会った2日後に東京であった彼は
髪の毛がイカした弱アフロ。
彼もまた自分をしっかりもってて、
まるで同い年には思えないような論理や倫理思考の持ち主で
色んなことを話した。ほんとに色んなことを。
いろいろすぎて、多分、その時は頭ん中が飽和状態になってた。
その日はたくさんの会話をした分、
一日が長くもあり、
短くもあったかな。
不思議なもので、
palisちゃんと出会ったのが8月23日、
うしゃと出会ったのが9月23日。
嘘みたいでほんとの話。
そこから3人でskypeしたり、
電話したり、
ほぼ毎日のように会話をしてた気がする。
年越しも3人でして、初めて3人で記念写真を撮った。
京都めぐって、
年越しそば・うどん食って、
紅白観て
お参り行って。
友達以上、キョウダイ以上、恋人以上(笑)
みたいな?
今では以前よりは連絡が少なくなったけど、
でも未だにフッと思い出す。
なんで今日こんなことを長々と思い出したかというと、
2007ねんの自分の誕生日に
彼女が送ってくれた一冊のアルバムを
さっき手に取ったから。
朝早く、広島の家にチャイムが鳴り、小包が届いた。
[ FROM palis ]
小包をあけると、手紙と一緒にアルバムが入っていた。
フランス語で「お誕生日おめでとう わたしの妹!」(多分。笑)
中には照れくさくも
彼女が撮ったわたし自身写真で埋め尽くされていた。
その横には一言ずつ、彼女の言葉が添えられていた。
初めて会った日から、
会ったときの一分一秒が写ってた。
そして彼女は全てを覚えていてくれて、
全てを大切に綴ってくれていた。
わたしと10日違いの誕生日のうしゃにも
アルバムが届いていた。
こんな気持ちにさせてくれたのは、
ぜんぶ、ぜーんぶ、
写真のおかげだなぁと
思いにふける腰痛持ち22歳。本日雨。
腰の痛さなんて気のせいにさせちゃった。
不思議な夢見に
不思議な気持ちに。
ほんと不思議な一日。
さっき家にきた新聞屋の兄ちゃんに、
「沖縄顔だよね」
って初対面にも関わらず言われた。笑
ほんとどいつもこいつもwww
ときは2006年。
大学に入って色んなことに挑戦していた。
毎日お弁当をちゃんと作ったり、
小さい頃からやりたかった格闘技を部活で始めたり、
ちゃりんこで広島から京都に帰ったり、
高校2年以来やっていなかった写真を撮り始めたり。
そのなかでも一番今のうちの人との繋がりを作ってくれたのは、
なんといっても写真に他ならない。
梅雨時期に入ろうかというころ
2つ上の先輩の写真を見て、
なんだか久しぶりにカメラを手に撮ってみようと思った。
そして某SNSで自分の撮った写真をアップしだして、(今はしてないけどね。)
そうするとそこで知り合う写真仲間が増えていって、
夏にはそのなかの9人の人たちが東京四ッ谷で写真展をすることになって
その写真展でもまた、
同年代の学生にも知り合った。
どんどん
どんどん
どんどん、
人と繋がっていく実感があった。
その人たちと、
翌年の3月に京都で[VectorSpace-Youth写真展]をした。
北は福島、南は広島。
様々な環境で様々な人模様、写真も様々。
その中で特に急速に仲良く、、
むしろ親密といっていいくらいになった子がいた。
palisちゃんと、うしゃ。
今でも覚えてて、
palisちゃんとは8月23日に写真展で。
一つ上の子だよ〜とたまったま紹介してもらった。
一緒に日光プリントをした。
彼女はパティシエの卵ちゃん。
ウサギみたいにかわいい顔をしてて、
モノゴトをはっきり言ってくる人だった。
でも、人一倍人を想う彼女で
それが会うたびに、話すたびに染み込んできた。
(んー、今でもかな。)
そしてたったその1回をきっかけに
9月21日には彼女の実家に泊まりにもいった。
カメラ片手に三宮を一緒に歩いて、
たくさんのおしゃれカフェをめぐったり、
写真を撮り合って照れ合った。
そして写真展のとき
わたしとは別に彼女が仲良くなったという
うしゃ
を彼女が繋げてくれた。
初めての会話が電話だった。
その時の第一印象は、
実際ほとんど覚えてない。
というのは、声フェチのうちにとって
電話ごしの彼の声はあまりにも刺激が強すぎたんだと思う。
だからいまだに電話苦手。笑(←カミングアウトww
彼女と会った2日後に東京であった彼は
髪の毛がイカした弱アフロ。
彼もまた自分をしっかりもってて、
まるで同い年には思えないような論理や倫理思考の持ち主で
色んなことを話した。ほんとに色んなことを。
いろいろすぎて、多分、その時は頭ん中が飽和状態になってた。
その日はたくさんの会話をした分、
一日が長くもあり、
短くもあったかな。
不思議なもので、
palisちゃんと出会ったのが8月23日、
うしゃと出会ったのが9月23日。
嘘みたいでほんとの話。
そこから3人でskypeしたり、
電話したり、
ほぼ毎日のように会話をしてた気がする。
年越しも3人でして、初めて3人で記念写真を撮った。
京都めぐって、
年越しそば・うどん食って、
紅白観て
お参り行って。
友達以上、キョウダイ以上、恋人以上(笑)
みたいな?
今では以前よりは連絡が少なくなったけど、
でも未だにフッと思い出す。
なんで今日こんなことを長々と思い出したかというと、
2007ねんの自分の誕生日に
彼女が送ってくれた一冊のアルバムを
さっき手に取ったから。
朝早く、広島の家にチャイムが鳴り、小包が届いた。
[ FROM palis ]
小包をあけると、手紙と一緒にアルバムが入っていた。
フランス語で「お誕生日おめでとう わたしの妹!」(多分。笑)
中には照れくさくも
彼女が撮ったわたし自身写真で埋め尽くされていた。
その横には一言ずつ、彼女の言葉が添えられていた。
初めて会った日から、
会ったときの一分一秒が写ってた。
そして彼女は全てを覚えていてくれて、
全てを大切に綴ってくれていた。
わたしと10日違いの誕生日のうしゃにも
アルバムが届いていた。
こんな気持ちにさせてくれたのは、
ぜんぶ、ぜーんぶ、
写真のおかげだなぁと
思いにふける腰痛持ち22歳。本日雨。
腰の痛さなんて気のせいにさせちゃった。
不思議な夢見に
不思議な気持ちに。
ほんと不思議な一日。
さっき家にきた新聞屋の兄ちゃんに、
「沖縄顔だよね」
って初対面にも関わらず言われた。笑
ほんとどいつもこいつもwww
by st_0
| 2009-05-17 19:03